荒神様

 

1.荒神信仰とは

日本では古来より、激しい霊威を発揮して、人間社会に災いをもたらす様な神霊を「荒振神(あらぶるかみ)」と呼び、畏れ敬う信仰がありました。火は、全ての物を焼き尽くすものであり、又食べ物を調理するためには、人間には必ず必要なものです。古来から人間は、火に対して畏れの気持ちと感謝の気持ちを持ち、家の守護神として、作物の神として信仰してきました。激しい霊威、神威をもたれているので、火の神、竈の神を荒神と呼んでいます。
又三寳荒神とは、仏教の仏、法、僧の三寳を守護する神様で、三面六臂と憤怒の形相とを持つ神様であり、如来荒神、鹿乱荒神、忿怒荒神の三身といわれています。主として、修験道、日蓮宗が祭祀した神様です。
祇園社(八坂神社)では三寳荒神は、牛頭天王の眷属神だとされています。牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教、道教、陰陽思想と習合し、日本に伝わってから、さらに陰陽道と関わりを深めたものです。疫神の性格を持ち、スサノオノミコトと同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものであると言われています。備後国風土記に蘇民将来の話もあり、茅の輪くぐりの神事のもとにもなっています。
荒神信仰には「屋内に祀られる三寳荒神、屋外の地荒神」という二通りの系統があります。
屋内の神は、中世の神仏習合の時、修験者や陰陽師などの関与により、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教の三寳荒神信仰が結びつき、「荒神さん」の信仰が広まっていったと考えられます。
又地荒神は山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格も持っています。牛馬の守護神、牛荒神の信仰とも関連があります。

2.全国の荒神さん信仰について

荒神さん信仰は、西日本で盛んであるといわれています。荒神社が多い県は、広島、岡山、兵庫、島根等の中国、四国地方等の瀬戸内海を中心とした地域です。
又御祭神は、各県により若干の違いはありますが、奥津彦神、奥津姫神、ホムスビ神、カグツチ神の火の神様系と、スサノオ尊系に分かれます。
火の神、竈の神の神道の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した、牛頭天王のスサノオ信仰との両方があったものと考えられています。

3.熊本県における荒神信仰の地域性と特色

信仰の地域性

西浦の荒神さんに参拝される崇敬者は、地域性があります。参拝者が多い地区は、荒神さん信仰が盛んであると考えられますが、多い郡市には、荒尾市、玉名市、玉名郡、山鹿市、菊池市、菊池郡、合志市、阿蘇郡、熊本市、上益城郡があります。それに県外の大牟田市が加わります。下益城郡から南、八代、人吉、天草、宇土地区からの参拝者は多くありません。

信仰の特色

現在、熊本県の荒神信仰は、屋敷神、屋敷荒神の信仰と三月荒神の信仰があります。屋敷荒神は、家の守り神として家の中に祀られる場合と屋外に祀られる場合があります。
特に屋敷内に祀られている屋敷荒神は、鬼門である東北に祀られている場合が多いようで、祠があり、石等がご神体であることもありますが、多くの場合、屋敷の一角に南天や樫の木等を植え、ご神体としている場合が多いといえます。又、特定のご神体がなく、その一角全体が荒神様、やぶ荒神としている場合もあります。それに荒神様の周りは、扱ってはならないものと考えられ、枝を切ったり、清掃等も控えている場合も多いようです。
以前は集落の中に、荒神の森や藪があったようですが、現在では少なくなっています。昔のお墓であったり、古墳であったり、何かのいわれがあり、人が手をつけてはいけないところを、荒神として祀り、祟り神と考え、扱わないようにしていたと考えられます。

4.三月荒神の信仰

熊本の荒神信仰で、もっとも特色があるのは、三月荒神の信仰です。三ヶ月ずつ方角をかえる荒神であり、移転、新築、増改築、土木工事、開店等で、この荒神の方角に向かうと祟りがあると考えられています。熊本県の北の半分の地域にこの信仰が強くありますが、三月荒神がどのような神様であり、御祭神やいつ頃から広まった信仰であるかは不明な部分が多く、信仰形態も、各地域、又受け継いできた神社等によって考え方が若干違うようです。

三月荒神の回る方角
一、三ヶ月間は同一方角にとどまる
二、時計の様に日々により移動する
三月荒神の回る期間
一、旧暦の1月から東、4月から南、7月から西、10月から北
二、立春から東、立夏から南、立秋から西、立冬から北
三、旧正月に東北から始まり、時計のように日々により移動する
四、立春に東北から始まり、時計のように日々により移動する

このような考え方の違いがあります。西浦三寳荒神社は、三ヶ月間は同一方角にとどまり、旧暦の1月から東、4月から南、7月から西、10月から北という信仰形態をとっています。

5.三月荒神信仰はいつ頃から始まったのか

他の民間信仰と同様に、方位の神としての三月荒神の信仰が、いつ頃から始まったのかは不明です。西浦三寳荒神社の由緒略記にあるように、言い伝えによると、加藤清正公は三寳荒神の信仰者であり、熊本城の守り神として三寳荒神を祀ったと伝えられていますが、この荒神が方位の神であったかは不明です。その後、細川綱利公の時代に現在のところに鬼門除けとして三寳荒神を祀ったのが、現荒神社の始まりです。
この時には、三月荒神の信仰、鬼門除け、方位の神としての信仰があったのではないかと推測されます。

6.三月荒神はどのような神様であるのか

全国的に見ると、荒神は火の神様です。又疫神としての信仰もあり、スサノオノミコトと同一視する場合もあります。しかし、方位の神、三月荒神の信仰は、熊本以外は、全国の何処にもないようです。
なぜ、熊本県の北の地域だけに信仰されているのでしょうか。

7.金神信仰との関わり合い

三月荒神と同様に、方位の神、祟りをなす神として、金神という遊行神の信仰があります。この信仰は全国的な民間信仰ですが、特に岡山県などの地域がもっとも盛んであったそうで、荒神信仰の盛んな地域と一致しています。
資料にもあるように、この金神は、年、月、四季により方位を移し、金神のいる方位は、大凶方とされ、この方位を侵すと激しい祟りを受けると考えられています。又、金神信仰は鬼門信仰と結びつき、鬼門金神が特に畏れられたそうです。

8.三月荒神と金神との類似性

三月荒神と金神とは多くの類似性があります。
一. 両方とも方位の祟り神であり、この方位を侵すと、激しい祟りがあるという信仰である
二. 両方とも遊行神であり、三月荒神は四季によりその方位を移し、金神も四季により方位を移す信仰がある
三.両方とも鬼門の信仰、鬼門荒神、鬼門金神の信仰がある
四.呼び方の類似性、荒神(コウジン)と金神(コンジン)と非常に似ている
金神の方位は、年、月によっても移るが、四季によっても移る考え方がある。春夏秋冬に東西南北の五日間であるが、この方位は大凶方となる以上のことにより、熊本地方で荒神信仰と金神信仰が習合し、四季により方位を移す祟りの神の三月荒神の信仰が広まったということが十分考えられます。

9.結び

熊本の荒神信仰は全国的に見ても特徴のあるものです。
荒神社の神社分布を見ても、もっとも多い地域は、岡山、広島等の中国地方で、
その信仰も、二通りの信仰があります。火の神様である、オキツヒコ、オキツヒメ神、カグツチ神、
ホムスビ神の信仰と、荒い神スサノオノミコトの信仰です。
九州地方の荒神社の数は非常に少なく、熊本県も数社しかありません。
熊本県の荒神信仰は、屋敷や集落にお祀りした屋敷荒神、地荒神の信仰と方位の神である
三月荒神の信仰の二つがあり、熊本の中でも北の地域が盛んです。
集落にお祀りしていた荒神は、現在ではほとんど姿を消していますが、屋敷内にお祀りしている
屋敷荒神は、まだ多くの家に見られます。
表鬼門、北東にお祀りされている場合が多いようです。これは鬼門の方位を守る神、鬼門荒神の信仰であることによります。

四季により方位を移す三月荒神の信仰は、全国に例を見ない、熊本地方の特殊な信仰であると考えられます。この三月荒神の信仰を見ると、全国、特に中国地方で盛んな金神信仰との類似点が多く見られます。まだ調査が不十分なため確定は出来ませんが、三月荒神の信仰が金神信仰から派生したとの推論も成り立つといえるでしょう。
又、なぜ、熊本の北の地域にこの荒神さん信仰が広まったかも不明です。しかし、この荒神さん信仰に、加藤清正公が深く関係していることが考えられます。
それは、加藤清正公は日蓮宗の信者であり、修験道やこの日蓮宗が、
三寳荒神を特に信仰したといわれているためです。
当荒神社も、加藤清正公が熊本城の中にお城の守り神として、
三寳荒神をお祀りした三寳院をつくったのが始まりであると言い伝えられています。
清正公の家来も当然三寳荒神信仰を持っていたことが考えられますし、
清正公が熊本に入国されたとき、中国地方で盛んである荒神信仰や金神信仰を持っていた家来もいたと考えられます。清正公の最初の肥後統治は熊本の北半分であり、その家来達が領地内で、荒神信仰を広めていったと考えるのは行き過ぎでしょうか。
他の民間信仰と同様に、熊本の荒神信仰も不明な点が多く、これからの綿密な調査が必要であるといえます。
荒神信仰は、荒い神、祟りやすい神として、現在の熊本県人の信仰の中にく根付いています。しかもこの信仰は、現在では、荒神を、祟る神から守る神、方位や生活の守護神へと変化させているのです。